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東京の私立学校には2種類ある

これは、私立小にかよう子どもを塾に行かせている親御さんのうち、小学5年以下の子どもをもつ方に特に読んでほしくて書いたエントリです。
6年、つまり受験シーズンに突入しているか、その直前のお子さんをもつ方は、読むと精神的不安定を引き起こす可能性があるので、このページをそっと閉じることをお勧めします(ただし、合格発表後の「どっちを選ぶか」の局面でしたら、もしかしたら役に立つ情報があるかもしれません)。

先に結論から申し上げますと、「私立小の子は進学塾に行ってはいけない」です。
ただ、すべての私立小についてではないです。
そこで、私立小、私立学校の分類からはじめます。
なお、愉快な話ではないです。
論拠がある話でもないです。
でも、けっして少なくない方が「わかる」と言ってくださる内容だと思います。

私が「私立小の子は進学塾に行ってはいけない」と言うときの「私立小」は、伝統的な私立小学校のことです。
東京の私立学校には、大きく分けて2種類ある、と考えます。
東京の、としたのは、私が肌感覚をもって書けるのは東京の事情だけだからです。
しかし、おそらく、神奈川や埼玉、千葉、名古屋、大阪、兵庫などの都市部に共通する話だろうと考えています。
2種類については、とりあえず、伝統的な私立と、イマドキの私立、とでも名付けておきましょう。
伝統的な私立は、明治期に創立されたか、少なくとも明治期まで遡れる学校です。
宗教系、特にキリスト教系の学校が目立つかと思います。
イマドキの私立は、典型的には、ここ10年ほどに校名、制服その他のイメージチェンジをした学校です。
両方に当てはまる学校もあるかと思いますが、このあとを読んでいただければ、伝統的な私立と、イマドキの私立のどっちのパターンに当てはめればいいか、判断できるはずです。

まず、「中高一貫の私立校で人格陶冶を」みたいな話をよく聞きますが、高い授業料を納めて、国公立ではなく私立にわざわざ送り込む価値があるレベルの人格陶冶を期待できるのは、伝統的な私立のうち、幼稚園や小学校がある学校に、幼稚園や小学校から通った場合だけだ、と私は考えています。
イマドキの私立に、幼稚園や小学校から通ったとしても、そういうレベルでの人格陶冶は、残念ながら期待できません。
イマドキの私立は、塾みたいなものだと考えたほうがいいと思います(このあとを読んでいただければわかるように、それが悪いという意味ではありません)。

また、伝統的な私立に中学や高校から入っても、そういうレベルでの人格陶冶は難しいです。
なぜそう言えるかというと、下から(幼稚園や小学校から通っている、という意味。内部進学組)の人間から見ると、下から一緒の同級生と、受験組(中学や高校からの入学者)は違うからです。
見えない壁があるのです。
どこが違うか、なかなか言葉にするのは難しいのですが、中学受験で入ってきた子は、率直に言うと、お客さんのように見えていました。
同じ制服を着て、同じ空間にいても、どこか馴染んでいない感じがあるのです。
その中でも、親が卒業生である子には、下からっぽい匂いを感じました。
つまり、違うと言っても、6年多く過ごしている子とそうでない子、という違いではないわけです。
また、先入観があるわけでもありません。
わけへだてなく、普通に友だちとして付き合っているのですが、ふと気が付くと、グループに下から一緒のメンバーしかいなかったりします。
自分でも不思議でしたし、怖かったです。
さらに恐ろしいことに、成人しても、その匂いの違いは残ります。
そう言えば、親同士も、内部進学組と受験組で分かれて付き合う傾向にありました。

では、内部進学組の中で、幼稚園からと小学校からでは違いがあるのでしょうか。
その点は、学校によるのかなあ、と思います。
例えば、戦前は官立学校であり、今もなお伝統的な私立の頂点に君臨する学習院の場合は、幼稚園からの家庭と小学校からの家庭に、明確な違いがあります。
私の母校は、も少しイイカゲンな学校だったので、そこまではっきりした違いはありませんでした。
私は幼稚園からですけど、小学校に上がると、誰が幼稚園からで、誰が小学校からか、だんだんわからなくなりました。
ただ、小学校からの子も、大半がいわゆる「お受験幼稚園」から来ていたような記憶があります。
だから、あまり違いがなかったのでしょう。

なお、幼稚園受験と小学校受験に関して、「(小学校受験に比べて)幼稚園受験はザルだ」とか「幼稚園からの子は出来が良くない」「だいたい3歳くらいで選別できるわけがない」といった意見をときどき耳にしますが、私の理解は異なります。
どういう子が幼稚園受験にパスするか、と言えば、その学校に、幼稚園から入るべき家庭の子弟です。
同語反復みたいなので、具体的な例を挙げると、エスタブリッシュメント家庭の子弟であるとか、親や親戚が出身者であるとか、宗教系の学校であれば信者であるとか、そういうことです。
だから、お受験塾(幼児教室)で、「なんで、あの子が受かって、この子が落ちるの?」みたいな結果が発生するのだと思います。
他人さまのことは気安く書けないので、40年以上前の自分の例になってしまいますが、

エスタブリッシュメント+親が出身者+お受験塾にかよった→不合格(小学校受験で、無事入学)
非エスタブリッシュメント+親が出身者+お受験塾にかよってない+一家で信者→合格(私)

みたいな番狂わせがある、それが幼稚園受験です。

ところでみなさん、宗教団体がなぜ学校をつくるか、考えたことはありますか?
カトリックで説明すると、教育修道会と言って、教育自体を使命とする集団もありますが、日本でけっこう多いのが、キリストの教えを広めることを使命とする宣教修道会が、頼まれて、あるいは自ら必要性に気付いて、学校をつくるというパターンです。
母校はプロテスタントですけど、やはり宣教師が必要性に気付いてつくった学校です。
そういう場合、設立する側としては、下心というか、本音というか、なんというか、ぶっちゃけますと、やっぱり生徒や保護者に信仰をもってほしいんですよ。
伝統的宗教では、たいていの場合、露骨にそういうことは言いませんが(そこが新興宗教との大きな違いだと私は考えています)、本来の目的(宣教)から言えば、明らかにそうなんです。
自分たちの学校に信者を入学させて、ゆくゆくは修道女・修道士や宣教師といった聖職者になってほしいという思いは当然ありますし、聖職者にならなくても、周りの友だちを教化する存在であってほしい――そういう願いから、私のような非エスタブリッシュメントの信者が、名門幼稚園と言われるところへの入学を許されたわけです(それなのに、ご期待に添えなくて……)。
それを踏まえて、お受験のために教会にかよって、洗礼まで受ける親子もいらっしゃるようですが……それはそれで問題だと私は思います。
たまたま受験がきっかけで信仰をもつに至った、ということならいいんですけどね。

幼稚園受験に比べると、小学校受験の場合は、番狂わせが少ないようです。
お受験塾での評価どおりに合否が決まっていく。
反面、年齢的に、お受験塾で徹底的に仕込めば合格レベルに持っていけるようです(そういうお受験塾に対して、私は批判的です)。

まだ、念頭にある学校が伝統的な私立かイマドキの私立かわからない方のために、1つ、伝統的な私立の特徴を挙げるならば、学校間にヒエラルキーがあるということがあります。
頂点は、前述したように学習院です。
細かい序列については、私の認識が古い可能性がありますから、割愛します(ここを期待した読者さんがいたら、ごめんなさい~)。

1つだけたしかなことを言えば、母校は学習院より下です。
戦前の、人力車が行き来していたような時代の話ですけど、「正妻さんの子どもは学習院に、お妾さんの子どもは○○(母校のこと)に行く」などと言われていたそうです。
そういうポジションが戦後も受け継がれているわけです。
だから、私は、下から学習院の方に対して、2歩も3歩も譲ります。
東大卒といった最終学歴は、そこでは一切関係ありません(逆に、東大コミュニティの中では、そういうヒエラルキーは関係なくなります)。
それが当然でしょう、という感覚を持っている方はほぼ間違いなく、伝統的な私立の内部進学組だろうと思いますし、そうでなくても、伝統的な私立に近い価値観をおもちの方なんだろうと思います。
逆に、「そんなの気持ち悪い」とか「時代遅れ」と感じる方もきっといると思いますが、そういう方は、お子さんを伝統的な私立に通わせるべきではないと思います。

さて、そうしたヒエラルキーを古臭いと思う感覚も理解はできますが、私はどうしても、ヒエラルキーや、伝統的な私立そのものを否定する気持ちにはなれないんです。
なぜかと言うと、これからの世の中に必要なものが、「小学校のある伝統的な私立」にあるような気がするからです。
つまり、自立を尊び、妊娠について教える私学はいいね!で、私が「いいね」と思った私学は、実は小学校のある伝統的な私立のことだったのです。
「もちろん、すべての私立学校でこういうディープな性教育をしているとは思えませんし(例えば、受験に熱心な学校は保健の授業をギリギリ限界まで削っていそうだし、男子校はおそらく手薄ですよね)」
の辺りに、ちょっとだけ漂っていますけど、当時はきちんと詰めて考えていませんでした……。
モヤモヤしていたものをつなぎあわせて、やっと気付きました。

たしかに、私が「いいね」と思った2つの理由、つまり「自立を尊ぶ姿勢」と「(勉強に直結しない)生きるうえで大切なこと、自分のバックボーンとなりうること(を学べる)」で、小学校のない伝統的な私立や、イマドキの私立にも当てはまるように思えます。
でも、ちょっと違うんですよね。
匂い、までいかないんです。
表面的、浅い。
ライフハックとか、ハウツー、という感じです。
それはそれでいいと思います。
物事、深ければいい、というものではないですからね。

ただ、その深さというのは案外バカにできなくて、これから3回めの「ガラガラポン」が起こるみたいなことが一部で言われていますけれど、起きたとしても、1回め(明治維新)、2回め(太平洋戦争の終戦・敗戦)と違って、階層としてのエスタブリッシュメントがまるごと権威失墜するような事態にはならないような気がしています。
つまり、彼らの文化的資産といったものは無視できないなあ、ということです。
ただ、彼らの文化的資産だけでどうにかなる話でもないので、来たるべき「ガラガラポン」なり「第4次産業革命(インダストリー4.0)」なり、「シンギュラリティ」なりに備えて、エスタブリッシュメント層に属しながら、あえてイマドキの私立にお子さんを通わせているご家庭もあるんじゃないか、と想像しています。

さきほど、イマドキの私立は塾みたいなものだと書きましたが、より正確には、卒業資格の取れる教育サービス、だと認識しています。
進学準備をしつつ卒業資格ももらえる、という意味で一石二鳥だけれど、伝統的な私立とはまったくの別物だ、という認識です。
だから、イマドキの私立の全部ではないにしても、きちんと時代の流れを押さえて必要な手を打っているイマドキの私立に通って、きちんと吸収している子は、ライフハック的に、なんとかなるんじゃないかなあ、と思っています。
だからもし、イマドキの私立に合格したと報告したところ、生まれも育ちも東京のお姑さんから、「そんな学校、聞いたことないわ」「あそこは元々~だったのよ」などと反対を受け、唖然としている地方出身者の方がいらっしゃったら、ここは頑張って説得するべきだと思います。

むしろ私が、他人事(ひとごと)ながら大丈夫かなあ、と心配しているのが、小学校のない伝統的な私立に通っている中学生、高校生です。
おそらく中学受験で相当頑張ったんでしょうけど、いわゆるお勉強だけの人になっていないでしょうかね?
これからの子どもたちは「21世紀型スキル」を身につけなければいけない、と言われています。
「21世紀型スキル」については、内田洋行教育総合研究所が運営する「学びの場.com」の意外と知らない“21世紀型スキル”(2)が詳しいですが、硬めなので、コクヨが運営する「WorMo’」の山内教授に聞く『21世紀型スキル』と教育がやさしい語り口なので、一緒にオススメしておきます。
どちらを読んでいただいても、いわゆる中学受験で磨かれる能力とは真逆であることがおわかりいただけると思います。
Benesse教育情報サイトヘッドラインの中学受験を目指す小学5年生 学力以外のものさしで志望校の再検討をで、森上展安氏は、
「学校側でも、偏差値だけでなく、さまざまなものさしを用意して、才能ある生徒を獲得しようとしている」
と言っています。
大手受験塾での成績に一喜一憂して神経をすり減らすのではなく、広い視野で比較検討のうえ「21世紀型スキル」対策をするべきだと思います。

ここまでをまとめると、

伝統的な私立に行くなら、幼稚園や小学校がある学校に、幼稚園や小学校から通うべき
中学受験する場合は、「21世紀型スキル」をどういう形で(学校の授業でor学校外の活動でor家庭でor1人で)身につけるかをしっかり考えて、志望校を選ぶ(受験しないという選択も含む)

ということです。

話を続けます。
私がどうにもならないと思っているのが、伝統的な私立小学校に通う子どもを塾に行かせ、せっかくの人格陶冶の機会を逃している家庭です。
もちろん、学校の勉強についていけないお子さんが、学校の学習に合わせた補習塾のようなところに行くのは問題ないです。
そうではなくて、学校の学習よりはるか先を行くような、大手の進学塾になぜ通うのか、と言いたいわけです。
ママ友から最初に、そういう子がいると聞いたとき、とても驚いたんですが、興味を持ってあちこちで聞いてみたら、決して珍しくないようです。
でも、それって意味不明だと思います!

学校にもよりますが、一般論として、私立学校は、必ずしも環境として良いわけではありません。
わかりやすい例で行けば、文部科学省の調査によると、私立の幼稚園や小中高校の建物で震度6強の地震にも耐えうるのは、全体の83・5%で、公立小中学校(95・6%)と比べると12ポイント程度低いそうです(「月刊私塾界」サイト私立学校の耐震化率83.5% 公立より12ポイント低を参照しました)。

1学級あたりの人数だって、公立では、平成23(2011)年度から小学校1年生では35人が上限となっており、20人台の学級もけっこうあるというのに、私立では、1学級40人以上はザラですよね。
50人以上の学級もあると聞いて、驚きました。
辞退者を見越して合格者を発表しているのに、辞退者が予想より少なかったとか、そういう事情があるんでしょうか。
人数が多いだけでなく、お受験塾で徹底的に仕込まれたために合格はしたものの、実は学力その他課題を抱えているというお子さんがいて、授業にならないケースもあるそうですよ。

それでも、伝統的な私立小学校に通う価値があるとすれば、深いレベルでの人格陶冶だと思うんですが、それをないがしろにして進学塾を優先させる親御さんが、どうやらいるらしいのです。
アンビリーバボー!
だったら、公立小学校でいいじゃないですか!
本当にその学校での人格陶冶を望んでいる子に、席を譲ってあげてほしいです。
もし公立がイヤなら、イマドキの私立の小学校に行けばいいじゃないですか!
「それじゃ、ママ友に自慢できない」とか、言うんでしょうか。
そういうブランド狙いだとしたら、哀しすぎます!
そういう人は、さらに上のブランドを狙って中学受験をするんでしょうが、既述のとおり、中学から別の伝統的な私立に行っても、しょせん外様(とざま)です。
深いレベルでの人格陶冶は期待できませんからね(そういう人は、そもそも人格陶冶なんて考えていないのかもしれませんが)。

だから、伝統的な私立小の子は進学塾に行ってはいけない、と私は強く訴えたくて、いろいろと問題をはらむ、このエントリを書いたのですが、実際に私立小に通う子どもを塾に行かせている親御さんの耳には届かないんだろうなあ、という絶望を抱いています。
「あなたは何と闘っているのですか?」と問いかけたいんですけどね、届かないんだろうなあ。

【追記】2016.2.4
関連エントリを紹介します。
よろしければ、どうぞ。

まず、「21世紀型スキル」と重なっているんじゃないかなあ、と思えるエントリ。
グーグルの採用基準にからめて、東日本大震災当日の経験から考えたこれからは「高度な事務処理能力」が必要は「問題解決、意思決定」だけでなく、「地域と国際社会での市民性」や「個人と社会における責任(文化的差異の認識および受容能力を含む)」につながっていると思います。
個人的にですが、「問題解決」以前に、その前提である、問題に気付く能力、問題を立てる能力が大事だなあ、と常々考えています。
というのも、いわゆるお勉強だけやってきた人って、そもそも問題の存在に気が付いていないんじゃないか、という印象があるのです。
おそらく、決まった枠の中で考える習慣ができているから、問題(初めて見る事象)が視界に入ってこないんでしょうね。
枠の外まで及ぶ想像力や、枠の外と中を行ったり来たりできる柔軟性といったものが大事だなあ、と考える次第です。

続編である今どきのリーダーシップのありかたで取り上げた油井宇宙飛行士のエピソードは、「問題解決、意思決定」はもちろん、「コミュニケーション」「コラボレーション(チームワーク)」にもかかわりますね。
自分のやるべきことについてのバランス感覚や、チームの中で自分を相対化できる知恵が必要だなあ、と改めて感じます。

以下は、エスタブリッシュメントと教育にからむエントリです。
日本の教育制度は、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある
月九「デート~恋とはどんなものかしら~」とブルデューの「ハビトゥス」の関係

それから、中学受験についての続編を書きました。
中学受験は親の受験です

【追記】2016.2.22
補足エントリ(と言いながら、長くて重いです)日本における学歴と階級と財力の関係を書きました。

自立を尊び、妊娠について教える私学はいいね!

週刊ダイヤモンド2015年8月22日号「息子・娘を入れたい学校2015」の読み方で予告したように、「私立、いいじゃん」という趣旨のエントリを書きます。

上のエントリでも書きましたが、私は地元の公立小中で大丈夫というエントリを書いています。
しかも、現在、みーちゃんは公立の小学校にかよっています。
まるで私学を否定しているかのようですが、そうではありません。
そのエントリは、単に、私立受験をあおるような記事を見かけて、「そんなことないよ、私立じゃなくても大丈夫だよ」と言いたかったから書いただけです。
というか、実は私は、幼稚園から高校まで私立にかよっていました。
私立のいいところも悪いところも知ったうえで、私立ってやっぱりいいなあ、と思うところがあるので、それをシェアします。

まず、1つめ。
前掲の週刊ダイヤモンド73ページの「おおたとしまさの目」で、教育ジャーナリスト・おおたとしまさ氏が、名門校に共通する特徴として「反骨精神」を挙げています。

2013年NHK大河ドラマの「八重の桜」を観ていた方がいたら、ぜひ思い出してほしいのですが、八重の2人めの夫、新島襄は、同志社大学の設立に奔走しました。
なぜ、東大のようにすでにある国立(官立)の大学を充実させようと考えるのではなく、別の大学をつくろう、となるのか。
それは要するに「反骨精神」です。
官僚養成学校の東大だけではだめだ、もっと自立した人間を育てなければ、という思いでした。
つまり、多数の均一化されたエリートが必要な時代に、均一化されたエリートである官僚が、多数の均一化された国民を、同じ方向を向かせて一気に突っ走らせる――そういう時代に必要だったのが官立学校でした。
このように官立の学校は、国民を管理する側に立っています。

ところが、私学は違います。
国家による管理を、むしろ嫌います。
母校在学中、卒業生でもある先生(女性)が、
「我が校は、太平洋戦争の前、国からキリスト教を捨てるように言われたが、頑として捨てなかった」
という話を誇らしげにしていた記憶があります。
そういう、管理を嫌う姿勢、自立を尊ぶ姿勢は、私学ならではのものだと思います。

そして、今は、ゴリラは人間のライバルになりうるか――国立大学人文社会系の問題についてで書いたように、「多数の均一化されたエリートが必要な時代」ではなく、「1人でいいから、ずば抜けた子がいればいい」という時代です。
そういう時代に合っているのは、国民を管理することに長けている官立でしょうか、それとも、管理を嫌う私立でしょうか。
ざっくりとした話にはなりますが、どちらかと問われれば、それはもちろん、私立ですよね。
そんなふうに考えてくると、これからは「私立、いいじゃん」と言えそうです。

2つめは、教育内容について。
ダイヤモンド・オンラインの政府の「女性活躍推進」が「少子化推進」となってしまう理由(上)で、天野馨南子・ニッセイ基礎研究所研究員が「出産を失敗しても、年齢ではなく自分の体の機能のせいだと思っていた」と言い、それを「日本人全体の、日本の文化にある問題」としている点に、猛烈に違和感がありました。
しかし、私の観測範囲では、天野さんに対して賛同の嵐が湧き起こっていたのです、とくに高学歴女性から。
びっくりしました。
中卒、高卒の人だったらまだしも、(東京大学を含む)超有名な大学を出ている人が、女性の生殖能力は20歳代後半から低下し始め、36歳を境に急低下するということを知らないまま大人になっているのですから。

もちろん、記事の中で紹介されているように、
「2010年開催の「欧州ヒト生殖学会」で発表された調査結果があります。英国のカーディフ大学が1万人超のカップルに対して行った大規模な国際調査ですが、「36歳を境として女性の妊娠力は低下するか?」(正解はYES)という質問に対し、英国やカナダでは正解率が7~8割を超えるのに対し、日本では3割を切っています」
とのこと。
「日本人全体」として見て、「妊産期問題」について知らない人が多いということなんでしょうね。

そのとき、私が思ったのは、多くの日本人の勉強内容、あるいは教育内容のバランスが悪いんじゃないか、ということでした。
だって、質的にも量的にも十分すぎるほど勉強しているはずの人たちが、大事なことを知らないという事実、そして、知らないことを「自分の不勉強のせい」だと考えないで、世の中のせいにして、「日本の文化にある問題」とまで言い切ってしまっているわけです。
「妊産期問題」について知っている確率は、学歴が高いほど、知識量が多いほど、高い、というわけじゃないんだな、全体的に知識のバランスが悪いんだな、と思いました。

なんでこんな偉そうな言い方をしているかというと、私自身は知っていたんですよ、中学か、少なくとも、高校生のときには知っていました。
ただ知っていただけではなく、その知識から論理的に考えまして、
「大学生のうちに出産して、子育てしながら働くのがいいはずだ、そうすれば、体力のある20代のうちに育児ができて、仕事で責任ある立場になる頃には子どもに手がかからなくなっている」
という人生計画を立てたのですが、周囲は世間体から反対し、当時の彼氏は逃げ出しました……切ない思い出です(笑)。

それは余談として、自分がなぜ妊産期問題について知っていたのか、を考えると、時期ははっきりしないものの、おそらく中学高校の授業じゃないか、という気がしています。
なぜそう思うかというと、今考えると、母校の性教育がとても充実していたからです。

例えば、高3のときは東大の保健学科の院生が授業をしてくれたのですが(さらさらロングヘアの女性でした。卒業式以来ですけど、お元気かなあ~)、忘れもしません、定期試験で「コンドームはいつからつけますか?」という問題に度肝を抜かれ、アワアワしながら「途中から」と書いたら、「最初から(ハートマーク)」と赤字を入れて返却してくれました。

そもそも、小学高学年のとき、講堂に集められて、資料映画を見せられて、その中の図で初めて、赤ちゃんがどうやってできるか、つまり「吾が身の成り余れる処を以ちて、汝が身の成り合はざる処に刺し塞ぎて、国土を生み成さむ」(古事記のイザナギ、イザナミの国づくり神話より。ピンと来ない方は、「日本語と日本文化」というサイトの古事記における性的表現(日本神話のセクソロジー)をどうぞ)について知りました。

それから、高3の最後の聖書の授業だったと思いますが、人工妊娠中絶についてのドキュメンタリー番組を見せられました。
中絶は人殺しだ、という印象を抱かざるをえないような、かなりエグい映像だったように記憶しています。
こんなの高校生に見せなくても、と思いましたが、宗教的、倫理的なテーマとしても重要だから見せている、ということは理解できました。
番組が終わると、先生(女性。牧師でもある)は、「困ったことがあったら、相談にいらっしゃい」と言いました。
卒業後数年して、風のたよりで、ある同級生が妻子ある男性と恋に落ちて、未婚の母になった、みたいな話を聞いたので、先生のいう「困ったこと」はこういうケースを指していたのかな、と思いました。
それとは別の機会でしたが、その先生は、ご自分が、赤ちゃんがほしかったのになかなか授からなかったことも話してくださいました。

そんな調子ですからね、妊産期についても当然、学校で教えてもらっているだろうと思うわけです。

もちろん、すべての私立学校でこういうディープな性教育をしているとは思えませんし(例えば、受験に熱心な学校は保健の授業をギリギリ限界まで削っていそうだし、男子校はおそらく手薄ですよね)、母校で今もこういう授業が行なわれているかどうかについては確認していません。
当時は、「ポップティーン」「エルティーン」「ギャルズライフ」といった過激なティーン向け雑誌全盛期で、1984年に衆議院予算委員会で大問題になったくらいだったんですよね(詳細は、くだん書房の「神保町裏通り日記」2011年11月の11月19日をどうぞ)。
したがって、学校ではなく、そういった雑誌で先に仕入れた知識である可能性も排除できませんし、逆に、そういった時代背景から、学校でこそ正しい知識を教えようという雰囲気が生まれた、という可能性もあります。

そうではあるんですが、なお私は、おそらく国公立では性教育、妊産期教育をしていないんじゃないか、少なくとも、国公立より私立のほうが性教育、妊産期教育が充実しているんじゃないか、という印象を抱いています。
現実的にいって、ダイヤモンド・オンラインの政府の「女性活躍推進」が「少子化推進」となってしまう理由(下)の、
「女性の妊産期については、議論を呼ぶ問題でもあり、「個人のライフプランに口を出すな」という批判が起きやすい。政策サイドの方では少しずつ、小出しにしているような状況です」
からしても、国公立では、具体的な性教育、妊産期教育をしにくい側面があるように思います。
実際、ときどき、「小学校でこんな性教育をしている。日教組、けしからん!」的な意見を見かけますし。

逆に、私立の、とりわけ宗教系の学校では、宗教的見地、倫理的見地から、堂々と性教育ができるように思うのです。

文部科学省の平成26年度学校基本調査によると、全日制、定時制、通信制を合わせた高校の数は5194。
そのうち、私立は1474校あります。
3割弱です。
上で言及した国際調査の「36歳を境として女性の妊娠力は低下するか?」についての日本のカップルの正解率は3割を切っているそうですから、私立出身のカップルが正解した、と考えたくなる数字です。
そして、ここでは妊産期教育の話だけになってしまいましたが、他の(いわゆる勉強に直結しないような)テーマについても同様に、私立にかよっている子は教わっているか、自主的に(雑誌などで)勉強しているか、ではないか、という仮説をもっています。
私自身、なんというか、生きるうえで大切なこと、自分のバックボーンとなりうることは学校で教わったような気がしています。
そんなこんなで、教育内容という点でも「私立、いいじゃん」と思っているのです。

以上、とくに2つめの点は、「私のときはこうでした、だから私はこう思います」的な根拠薄弱な話ではありますが、あえてそれを書くことにしたのは、ハフィントン・ポストの妊娠しやすいのは何歳まで? 文科省が高校生向け副教材にあるように、文部科学省が高校生向け副教材「健康な生活を送るために」を作成し、全国の高校1年生に配布する、と知ったからです。
同エントリによると、「新たに追加された内容では、女性の妊娠のしやすさが年齢によって変化することをグラフを使って説明」しているそうです。
つまり、これまでの副教材にはそうしたグラフが載っていなかったわけです。
上で書いた、「国公立では性教育、妊産期教育をしていないんじゃないか」が、単なる私の妄想ではない可能性が高まったのです。

さらに、そのグラフが間違っているかもしれない、という話まで出ているんですが、remcatさんの「研究資料集」「妊娠のしやすさ」をめぐるデータ・ロンダリングの過程によると、妊産期問題が明らかになったのは、比較的最近のようです。
私が高校生だった1985年4月~88年3月にそれを教える授業って、実は高校の保健の授業としては最先端の授業だったのかもしれないと思いました。
上述のように、先生は東大の院生ですから、ありえない話じゃないですし。
私の記憶違いもあるかもしれないけれど、一事例としてネットに公開する価値があると考えた次第です。

なお、アピタルの「男女で知って欲しい「妊活」」《35》 妊娠・出産・子育ての適齢期に関する教育によると、女性だけではなく、男性の妊娠・出産適齢期も20代だそうですよ。

プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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生後106日以降のママ日記は有料とさせていただいております。有料とする理由含め詳細は「当サイトについて」をご覧ください。
取材(「取材してほしい」「取材したい」の両方)、お子さまの教育についての相談(実費申し受けます)などもお気軽にどうぞ。「お問い合わせ」からご連絡をお願いします。

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