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いじめと哲学

「子どもの将来・その3」で、

つまり、子どもが何らかの理由で、望ましくない順序で世の中の真実に触れてしまった場合にも、子どもが自力で、頭の中で事実を整理できるように、あらかじめ別の方法で「検証」能力を高めておくのです。

と書いた時、私の頭の中にあったのは「いじめ」のことでした。

「子どもの将来」にgenyさんが寄せてくださったコメント

少なくとも、日本の学校で「本当のこと」を言うといじめられるでしょう(教師からも)。できることなら、「文脈=空気」への依存度が低く、「言語」でのコミュニケーションを重視する海外の学校で学ばせたいのですが。。。

というくだりも意識していましたが、何と言っても大きかったのは「みーちゃんが噛まれた」事件です。

※「みーちゃんが噛まれた」事件
2011年某月某日、某保育園において、みーちゃん(4歳)がお友達(4歳、女の子、ハーフ)に胸を噛まれた。
現場にいた保育士によると、事件当時、みーちゃんは積み木のお片づけをしていた。
そこへ、お友達がやってきて「やってあげる」と言った。
しかし、みーちゃんは「じぶんでやるの」と答えた。
押し問答を繰り返した挙句、突然、お友達が服の上からみーちゃんの胸に噛みついたという。
「20年以上保育士をしていますが、子どもが友達の胸を噛む、というのは初めての出来事で、大変驚きました。
ただ、そこへ至る経緯は、『自分でやりたい』気持ちと『友達のためにやってあげたい』気持ちのぶつかり合いであり、歳相応の正常なものだと考えています」
(現場にいた保育士)。

そうなんですよね。
噛んだと言っても、悪意や敵意からではないらしいんです。
みーちゃんは「自分でやりたい」。
お友達は「やってあげたい」。
みーちゃんは、かたくなに断る。
お友達はやっぱりやってあげたい、でも言葉がうまく出なくて、ガブリ、といってしまったようです。

みーちゃんが2歳くらいの時は、お友達と、
「そのおもちゃかして」
「やーよ」
「かーしーて!」(お友達がみーちゃんをドンと突いて、おもちゃを奪い取る)
「えーん!」(みーちゃんが泣く)
みたいな、いかにも子どもらしい、わかりやすい関係でした。

それが、4歳になると、「やりたい」と「やってあげたい」のぶつかり合いのように、少し複雑になってきます。

で、6歳とか、それ以上になると、心の動きはもっと複雑になってくるんだろうな。
そして、やがて、

「あの子、かわいいからムカツク。いじわるしちゃおう」
「あの子、わたしのこと、むしした? かんじわるいから、みんなでシカトしよう」

隠微なパワーゲームがはじまるわけですな。

「何を言っているのか、さっぱりわからない!」
というパパ、ママがもしいらっしゃったら、ぜひ『女の子どうしって、ややこしい!』(レイチェル・シモンズ著、鈴木淑美訳、草思社刊)を読んでいただきたい。

「女の子社会では、解決されない摩擦が空気中にガスのようにたれこめている」(同書72ページ)
「いちばん人気がある子、いちばん頭のいい子、いちばんほっそりしている子、いちばんセクシーな子、いちばんいい服を着ている子は憎まれる」(同書110ページ)

もし、みーちゃんが、いじめを苦に自殺したら!
もし、みーちゃんが、友達に首を切られて死んでしまったら!(数年前に実際に日本で起きた事件をイメージしています)

想像するだけで涙がにじみます。

いじめ、それは少なからぬ子どもたちにとって、おそらく人生で最初に出会う「世の中の真実」でしょう。
いじめ、それは多くの場合、理不尽なものであります。
でも、それを「理不尽だ」と糾弾しても、意味はないでしょう。
やり過ごすなり、乗り越えるなり、なんとか向き合っていくしかないのです。

しかも、厄介なのは多くの場合、子どもたちは大人の手を借りることなく「自力で」向き合わなければならない、ということ。
なぜならば、いじめは親や教師には見えないところで行われるから。

子どもにとって最大の試練、「いじめ」。
我が子が「いじめ」という理不尽に出会った時に、我が子を支えてくれるものは何か。

いじめられても「私は私」と思える、自負心。
いじめられても逃げ込める、自分の世界。
いじめられているという事実を、合理的に、冷静に、相対化して捉えることのできる、知性。

いつでもどこでも、夢中になってその世界に入り込んで、いじめられている現実をひととき忘れ、自分を取り戻せるような本。
いいと思います。
今日、本である必要もありませんね。
マンガやアニメやゲーム(1人でやるタイプ)でもいい。

そんなことを考えていたら、近代西洋哲学にたどり着いたのです。

いじめられている時、人は哲学者になるんですよね。
私にも経験があります。

「みんなが私をいじめている。私ってそんなに嫌な子なのかな……私って、いったい誰?」
「こんなにお祈りしているのに、いじめが続く。神様って、本当にいるの?」

「子どもの将来・その3」でもご紹介した『ソフィーの世界』がベストな本だとは思いませんが、哲学への入り口として他にお勧めできる本を思いつきません。
それに、この本で救われる子どもは、きっといると思います。

さて、冒頭にコメントを紹介させていただいたgenyさんへ。

一連のコメントの中で、たぶんgenyさんは、

例えば、テレビのニュースを見た時に鵜呑みにするのではなくて、「なぜそのように報道されているのか」「報道されていない事実はないか」など、自分で検証をして、そのニュースの本質をつかむ能力

みたいなことを考えておられたのではないかと思ったのですが、どうしても「いじめ」のほうが気になってしまって、そちらに話を引っ張ってしまいました。
いまさらですが、ごめんなさい。

それから、冒頭で紹介したコメントに、どうしても私は、無条件では賛同できないのですが、その理由はこのエントリから読み取っていただけますよね?

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Comment

  1. geny says:

    「いじめ」やっかいですね。私はいじめたことも、いじめられたこともあります。いじめる方も決して面白いものじゃありません。屈折した思いの、屈折した発露です。いやな記憶だけが残ります。

    日本と海外で差があるのかは、定かではありません。私が子供に望むのは、「妙な環境に陥った場合でも、さっさと脱出して別の環境を見つけて適応する能力」といったところでしょうか。屈折した輩からは、逃げるのが先決だと思います。

    「親や教師には見えないところ」、親の眼力が試されますね。

  2. 渡辺リエラ says:

    genyさん
    コメントありがとうございます。
    コメントを強制しちゃったかしら……ごめんなさい。

    いじめる側の心理、わかります。私も両方経験がありますが、たしかにいじめるほうが気分が悪かったです。6歳の時、自分の(どちらかと言うと親に対する)欲求不満を友達にぶつけながら「この子がわるいわけじゃないのはわかってる、でもおさえられない、いやなわたし」と思いながら、いじわるを言ってました。
    終わったことだからと心の奥底にしまっておいたはずなのに、子どもがその年令に近づくとだんだん記憶が蘇ってくるんですよね……。オソロシイです。

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プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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