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小学校の英語教育をやるべきか、どうやるべきか

東洋経済オンラインに安河内哲也先生の論争勃発! 小学校の英語教育は意味がない!? 日本の英語教育を変えるキーパーソン 水野 稚(1)という対談エントリが上がっていたのですが、「侃侃諤諤」過ぎて、読んだらかえって頭が混乱してしまったので、整理がてら書きます。

結論から言うと、私は小学校で英語教育をするべきだと考えています。
自分自身も、そうでした。
自分の受けた英語教育がベストだったとは思いませんが、大筋では良かったんじゃないかと考えています。
立ち位置を明らかにしないと、言いたいことが伝わらないと思うので、要点を書きますと、私がかよっていた私立の小学校では、小学校2年生から英語の授業がありました。
最初は日本人の先生の授業で、高学年になると、カナダ人などネイティブの先生の授業も加わりました。
ネイティブの先生の授業はもちろん、日本人の先生の授業も、英語オンリーでした。
それ以外に、小学校3年か4年くらいに、ネイティブではないがネイティブから英語教育を受けてきた、流暢な英語を話す日本人の個人レッスンを受けました。
そのレッスンの詳細はよくおぼえていないのですが、徹底的な発音指導を受けた、と認識しています(少なくとも長文を読まされたり、文法を教えこまれたりはしませんでした)。

さて、なぜ小学校で英語教育をするか、その最終目標ですが、英語を普通に使える大人になるため、と考えています。
大人になったときに、英語で仕事をしたり、英語で映画を観たり、英語で冗談を言ったりできるようになるためです。

全員が「英語を普通に使える大人」にならなくてはいけない、とは思いません。
ですが、一部の人が「英語を普通に使える大人」になってくれなくては、日本という国が沈んでいってしまうことでしょう。
そして、どの子どもが「英語を普通に使える大人」にならなくてはいけない子なのかは、小学校の時点ではわからないので、全員が英語教育を受けておかないといけない、と考えます。
あと、日本人はもっと論理的表現力を鍛えたほうがいいとは思っています。
その点、英語で論理的表現力を鍛えるのは割と効果的だと思うので、その意味でも、小学校で全員が英語教育を受けたほうがいいと考えています。
この辺りの詳細については、なぜ日本人は英語を学ぶべきなのか コミュニケーション力(論理的表現力)をどう鍛えるかをご覧ください。

さて、「英語を普通に使える大人」になるために、何が必要でしょうか。
私は、

1 英語のアルファベット、発音、単語、文法……といった知識
2 読み、書き、話す、聞くの実践の場
3 羞恥心の克服

と考えます。
そして、その中で、最も軽視されており、かつ、最も日本人に欠けているのが、3の「羞恥心の克服」だと考えています。

これは私だけが言っていることではありません。
例えば、英語教室MLSの小学生クラスドラマメソッドR・最新教授法「Super-STAGE」についてにも、効果の1つとして「羞恥心を克服できる」とあります。

また、「羞恥心の克服」は、英語教育にのみ必要なことでもありません。
もっと広い意味でのコミュニケーション、プレゼンテーションの問題で、実は相当に根深い問題だと感じています。
例えば、「バレエに魅せられて」というブログの熊川さんの熱血指導!SWITCH続きでは、Eテレの「SWITCH」という番組で放映された、Kバレエユース「白鳥の湖」のリハーサルシーンの様子が書き起こされています。
そこから引用します(著作権者のみなさま、問題ありましたら、ご指摘ください、対応いたします)。

「ラスト近く、オデットが自殺するところ。
「もう、私は死にます」とマイムをして湖に飛び込むシーン。
そのマイムがダメだと、オデット役の子を呼んで叱る熊川さん。

振りをなぞってもダメだから。こうだったかな、こうだったかな、角度こうだったのかな…
そんなこと言ってんじゃないの!!
何を言っているかわかってるだろう?

もっと出せよ。

やっぱり、羞恥心を克服する教育をしてかなきゃだめだな。

音楽にまかせて、身を任せて、
音楽が発するその魅惑的な魔力…
そういったものがさぁ、身体から湧き出てきて、
チャイコフスキーの作った名作がおまえらの身体に浸透して、
音楽の音符のひとつずつが、ひとつずつがお前の身体の細胞をかきむしるわけだよ」(引用ここまで)

という次第で、Kバレエカンパニーを主宰する熊川哲也氏の、まるでセリフのような言葉(それはおそらく、いろんな場面で何度も何度も同じことを言ってきたからだろう、と推測します)の中にも「羞恥心を克服する」という文字が見えます。
なお、当サイトの熊川哲也氏理解については、東大の推薦入試はローザンヌ国際バレエコンクールだをぜひご覧ください。

さて、「羞恥心を克服する教育」をどのように行うか、というのはけっこう難しい問題だと思います。
『こんなふうにはじめてみては 小学校英語』(久埜百合著、三省堂刊)では、
「9歳の言語習得上の壁を越えるまでに英語の音声の流れにふれさせておくことが必要不可欠」
と書かれています。
「9歳の言語習得上の壁」とは、要するに、羞恥心が出てくることです。
とすると、まだまだ無邪気な小学校低学年で英語教育をはじめるべきではないでしょうか。

どんな教育内容にするべきか、については、「話す」「聞く」の部分、つまり英語の音やリズム、イントネーションに慣れることを主眼とすべきでしょう。
意味や文法は後回しでいいから、身体に「英語の音声の流れ」を叩き込んでおくのです。
前掲『こんなふうにはじめてみては 小学校英語』でも、
「学年が進むにつれて聴覚によって認識したものを表現する能力は確かに伸びていくものの、微妙な音素の差をとらえる能力では、低学年のほうがすぐれている」
「日本語の音体系で育った者には、英語のリズムやイントネーションを身につけることが大変難しく、各音素(子音、母音を含む)の発音と同様、あるいはそれ以上に訓練を要する」
といった指摘があります。

そして、小学校中学年では、「読む」「書く」にも入っていく必要があるでしょう。
『英語授業改革双書No.32 英語好きにする授業マネージメント30の技』(中嶋洋一著、明治図書刊)では、
「小学校である程度ローマ字を読んで書けるという経験をしている生徒たちと、そうでない生徒たちでは、音と文字が一致するかしないかで、大きなギャップがある」
と指摘されていますから。

理屈っぽくなってくる小学校高学年では、文法もぜひ。
こう書くと、
「今まで中学で勉強していた内容を小学生にやらせて大丈夫なのか?」
と心配する方もいるかもしれません。
その方には、大分市内で、英語をツールにして表現力を身につける教室を運営している株式会社Dirigo代表取締役・廣津留真理さん(ハーバード大学生・廣津留すみれさんのお母様でもあります)の名言を贈ります。

「やめましょう、中学英語。3年間、何もしないことと同じですから。「中学英語」なるものは、12~15歳の年齢のこどもが習うにはあまりにも簡単すぎてどうにもならないのです。英語経験ゼロの小学生が週1回60分のクラスに参加するだけで1年で終了、しかもお釣がくる程度です」(Dirigoサイト小学英語?まさか「中学英語準備コース」を取っていないですよね?より)

【追記】2014.12.13
「羞恥心の克服」の具体的な手段について、エントリを書きました。
勉強よりも、英語よりも、プログラミングよりも大切なこと

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プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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