クリスマスが近づいているので、キリスト教寄りの話題を取り上げたいと思います。
今回は、かなり歯ごたえのある話かも。
「子どもの将来・その3」で触れたように、小さい頃から、目に見えないもの、抽象的なものの認識能力を上げておくことはいいことだと思っています。
例えば、神社にお参りしたら、
「この中には神様がいるんだよ」
とか、お墓参りしたら、
「ここには、ばあばのばあばが眠っているんだよ」
とか、みーちゃんにお話ししています。
クリスマスイブには、毎年ミサに連れて行きます。
私はいろいろあって、今はカトリック信者です。
みーちゃんもカトリック信者になるかどうかは本人次第と思っていますが(だから、幼児洗礼もまだ受けていません)、カトリックの空気や教えには積極的に触れさせるように意識しています。
このように、子どもにキリスト教を学ばせようとしている理由は、いくつかあります。
1つ。
キリスト教に限らず、宗教を知っておくと、
「私が世界の中心」
といったようなエゴイスティックな思考にはまらずに済む(可能性が高い)。
「ありがとう」
「おかげさまで」
といった言葉が自然に出てくる人に育つ(可能性が高い)のです。
2つ。
幼い時から宗教に触れておくと、抽象的思考への導入になるのではないか(冒頭の話ですね)。
3つ。
キリスト教を理解することは、近代西洋を理解する近道ではないか。
あるいは近代西洋の理解が深くなるのではないか。
4つ。
なんでもいいので1つ伝統的宗教の教えを知っておくと(できれば信仰を持っておくと)、新興宗教や似非宗教にハマって自分や他人の人生を滅茶苦茶にする可能性が低くなる。
念頭に置いているのは、やはりオウム真理教事件です。
オウムではないのですが、私、大学1年の春にあるサークルに勧誘されました。
先輩に、
「新興宗教が勧誘してるから、気をつけて」
と言われていたので、
「宗教ですか?」
と聞いたのですが、
「宗教ではない」
と言う。
しつこいので、彼らの部屋(駒場キャンパス近くの普通の民家の2階でした)に行って話を聞きましたが、1分で宗教だとわかりました。
だって、私の知っているキリスト教に似てるし、キリスト教より、なんか浅いんだもん。
なので、自信を持って、
「私はクリスチャンです。あなた方の話は宗教です。でも、あなた方は宗教ではないと言って、私をここに連れてきた。話が違うので、私は帰ります」
と宣言して、スタコラサッサと帰って来ました。
こんな話、ゴロゴロしているような気もするし、「一歩間違えたら…」と後から青ざめるような話なのかもしれません。
今となっては、どっちかよくわからないけど、ただ、少なくとも言えるのは、
「クリスチャンです」
「カトリックです」
は“使えます”ということ。
もし、キリスト教系の新興宗教の度重なる「ピンポーン」にお悩みの方がいたら、
「宗教は嫌いです」
ではなくて、
「私、カトリックです」
と言ってみてください。
99%、すぐに帰ってくれますよw
※ 念のため申し添えますが、新興宗教よりカトリックのほうが上だとか正しい、などと言いたいわけではありません。
カトリックの歴史は、血塗られた歴史でもあります。
批判されるべき点も、たくさんあります。
キリスト教シリーズ次回は、きれいなものをご紹介します。
【追記】2013.11.22
実はこのエントリを書いた翌日、ご近所さんから、あるキリスト教系新興宗教のパンフレットを、
「これ、お子さんのいらっしゃる方のためになる話が載っているから、読んでみて」
と手渡されました。
いつものように(上で書いているように)、
「私、カトリックなので」
と断ったら、満面の笑顔で、
「あら、そうだったの。それならよくわかる話だと思うわよ。ぜひ読んでみて」
と、もはや断れない雰囲気に……。
上で「99%、すぐに帰ってくれますよw」なんてふざけたことを書いたから、神様が、
「図に乗るなよ」
とメッセージを送ってこられたのかもしれません。
で、その後の数冊も含めてパンフレットを読みましたが、ピンとこなかったです。
そう言えば、そのおばさま、会ってもパンフレットをくれなくなったな……。
という次第で、私はまだカトリックです、なかなか教会に行けないダメな信者ですけど。
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