2014年04月

東大先端研と日本財団の「異才発掘プロジェクト」の意味

不登校や不登校予備群のお子さんをもつ方々、朗報です。
朝日新聞DIGITALの育て、未来のエジソン 学校なじめぬ子ども、東大先端研など支援(2014年4月11日05時00分)によると、「突き抜けた才能があるのに学校になじめない小中学生をIT(情報技術)を使ったオンライン教育などで大学卒業まで支援し、世界のトップランナーに育てる「異才発掘プロジェクト」を、東大先端科学技術研究センターと日本財団が始める」そうですよ。

「突出した能力を持つ子の中には、コミュニケーションが苦手だったり興味が先走ったりして、エジソンのように学校教育になじめない子も少なくない。その才能を開花させるのが狙い」だそうです。
中邑賢龍(けんりゅう)・東大先端研教授は「日本の学校教育はオールマイティーで協調性のある人間を育てるには適していたが、それではイノベーションは起きない。適応教室などでは満足しきれないとがった子が牙を磨く教育の場を作りたい」とおっしゃっています。
笹川陽平・同財団会長も「将来的には寄宿舎を作るなど長期的に支援したい」と言っていて、「とがった子」ばかりが集まった寄宿舎がどんな修羅場になるのか、想像すると楽しみなような、こわいような……ですが、ともかく、一発花火を打ち上げました、ではなくて、継続的、恒常的に支援が行われる模様です。

さて、
「そのニュースは見たけれど、うちの子にはそんな才能なんてないから、関係ないわ」
と言っているお母さん、お父さんがもしいたら、申し上げたい。
このプロジェクトが発信するメッセージに注目しましょう。

伝統的に、日本を支配してきたのは「世間」の同調圧力であり(日本に限った話ではないと思うが、とくに日本では)、「オールマイティーで協調性のある人間」が好まれ、「コミュニケーションが苦手だったり興味が先走ったりして、エジソンのように学校教育になじめない子」は全否定され、その子が持っているかもしれない「突き抜けた才能」は切り捨てられてきました。
そういう、ある意味明確な選択によって、この国は繁栄してきたわけです。

そして、今、日本の教育制度は、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつあるで書いたように、ありったけのリソースをつぎ込んで本物のエリートを育成しないと、この先、日本が廃墟のようになりかねない局面まで追い込まれてしまっています。
だから、手間ひまかけてエリート候補生を絞り込んでいくしかないわけですが、それを、国を代表する公的機関が言明したのは、たぶん日本という国がはじまってから初めてのことだと思います(これまで言明したことがないだけでなく、むしろ「突き抜けた才能」を持っていたと思われる、例えば菅原道真のような人を最終的に左遷することで「世間」を守ってきたように感じます)。
国は、みんなで足並みを揃える方向から、全国民が食べていけるような産業を創造してくれる少数のエリートを見つけて育てる方向に大きく舵を切ります、というメッセージを送っているのではないでしょうか。

いやはや、自分が生きている間に、こんな大きな変化が起こるとは思わなかった。
いい時代になりました。

なので、新学期のこの時期、
「朝、子どもがお腹が痛いと言って、学校を休みがちなの」
「子どもが、学童クラブを嫌がるの。だからと言って、1人でお留守番をさせるのも心配だし、どうしよう」
と悩んでいるママ、パパも、少し気持ちをラクに持ちましょう。
集団生活になじめないことは、もう、マイナス要素ではありません。
それどころか、プラス要素かもしれないのです!

ただ、ひとこと付け加えておきたいんですが、私は、学校などの集団生活の場に行かなくていい、とは考えていません。
行くべきです。
その理由については、2013年6月11日配信 なぜ学校へ行くのか・その3で書きました。
結論だけ書くと、すごく唐突な感じになりますが、戦争が起こる可能性がある限り、軍隊(または実質的に軍隊と呼べる組織)は必要で、軍人は任務に直ちに入れるように規格化されていることが必要、だから、規格に合わせる訓練はどうしても必要、少なくとも日本において、その予行練習(予行演習)の場としての役割を果たしてきたのが学校だったのではないか、ということです。
逆に、みんなが学校へ行くべき理由を理解したうえで、ある種の覚悟をする人は、学校に行かなくてもまったく問題ない、と考えています(どういう覚悟かは、上記エントリで書いてます)。

あと、日本の教育については、これまた結論だけですが、

学校でやること
 読み書き計算
 (段階的に教えるメソッドが存在する場合の)高度な知育
 「集団生活に適応する訓練」(日本では「徳育」の一部。「規格に合わせる訓練」を含む)

家庭でやること
 (段階的に教えるメソッドが存在しない場合の)高度な知育
 深く内面にかかわる徳育

というふうに理解しています。
詳しくは、2013年5月7日配信 なぜ学校へ行くのか・その1 2013年5月14日配信 なぜ学校へ行くのか・その2(宿題の話)をどうぞ。

さてさて、話は戻りますが、「とがった子が牙を磨く教育の場を」という考えに私は100%賛成で、自分自身もそういう意識で子育てをしています。
ですが、その考え自体がまだまだ「とがった」考えなので、家族や親戚、教師をはじめとする周囲の人々にわかってもらえないことがよくあります。
共感や協力が得られないだけならまだしも、邪魔されたり、牙をむき出しにして攻撃してこられたりすることもあって、びっくりしてしまいます。
そういうことが続くと、精神的に疲れてしまいます。

ですが、元気を出しましょう!
大丈夫、時代は「とがった子が牙を磨く教育の場を」作ろうとしている私たちの味方です。
というより、私たちは時代を冷静に読んで動いているだけなんですけどね。
別に特別なことをしているわけではなく、変なことをしているわけでもありません。
その冷静さを失わなければ、何もこわいものはありません。
さあ、頑張りましょう。

福音館の月刊絵本 その3

そろそろ申し込みの締切じゃないでしょうか?
うちは、2歳児クラスのときは2010年度「ちいさなかがくのとも」(3歳~5歳向き。詳しくは福音館の月刊絵本 その1をご覧ください)を、3歳児(年少児)クラスのときは2011年度「ずかんライブラリー」(たしか5歳以上向き。詳しくは福音館の月刊絵本 その2をご覧ください)を申し込みました。
その後の話がまだだったので、しますね。

4歳児(年中児)クラスのときは、迷った挙句、結局、2012年度「こどものとも」「かがくのとも」(年長児=5・6歳向き)の両方を申し込みました。
「こどものとも」は「ものがたり絵本」で、「かがくのとも」は「かがく絵本」です。
何を迷ったかと言うと、この頃には既に、フィクションにはあまり興味を示さず(たまにお気に入りが生まれるが)、ノンフィクションに食いつく、という傾向が出ていたため、好きなもの=ノンフィクションを心置きなく読ませるか、苦手なもの=フィクションの面白さをアピールするか、で迷ったわけです。
で、絞り込めずに、二兎を追うことにしたわけでありました。

振り返ると、「こどものとも」で比較的よく読んだのは、5月号「せいそうせんのくりんまる」と8月号「おおばっちゃんちにまたきてたんせ」、11月号「ひとりで おとまり」のような、ノンフィクションに近いものでした。
でも、たまたま「死ぬ」という言葉を頻繁に口にする時期があり、そのときは、家族の死を乗り越える物語である10月号「きのうえの トーマス」を何度も読ませました。
ちゃんと受け止めているように思えましたし、しばらくすると「死ぬ」「死ぬ」言わなくなりました。
あと、2月号「おるすばん」は不思議系の、ある意味とてもフィクションらしいフィクションなのですが、これは気に入ってよく読みました(こういうタイプのお話は保育園ではあまり読まないからかなあ、と想像しています)。
それで気づいたのは、フィクションが苦手なわけではなくて、保育園で十分に読んでもらっているから、家でまで読もうとは思わないんじゃないか、ということでした。

一方、「かがくのとも」でよく読んだのは、10月号「こまゆばち」と12月号「しわしわ かんぶつ おいしいよ」でした。
意外と読まなかったです。
それはノンフィクションへの関心が薄れたというより、もう年中組ともなると、実物を見る機会があったり自分で実際に作る機会があったりしますし、Eテレの「ピタゴラスイッチ」や「大科学実験」を繰り返し観ていましたから(この辺りの番組についてはテレビで子育て――算数・理科・社会・音楽・体育テレビで子育て――ノンジャンルをどうぞ)、絵本という回路の優先順位が下がった、ということかと思います。
1年が終わった段階で振り返ると、ノンフィクションを心置きなく“読ませる”こともできず、フィクションの面白さを改めてアピールすることもできず、その意味では、まさに「二兎を追う者は一兎をも得ず」になってしまったわけです。
しかし、ノンフィクションへの興味が失われるどころか、ますますノンフィクション大好きになり、また、フィクションが嫌いなわけではないことも確認できたので、(保険というか安心料として)申し込んでおいて良かったと思っています。

5歳児(年長児)クラスのときは、2013年度「みつけようサイエンスの世界ライブラリー」(5歳~小学生向き)を申し込みました。
「アメリカで40年以上読まれ続けている科学絵本シリーズの中から、知ること、考えることの楽しさを伝える選りすぐった作品を一堂にそろえました。動物や植物、命や身体のことから、気象まで、子どもたちを興味深い「かがく」の世界に案内します」
という惹句通りの、素晴らしいシリーズでした。
1年12冊分となると軽く1万円を超えるため、気軽に薦めるわけにはいきませんが、1冊ずつ購入することもできますし、「プレゼントしたいんだけど」と言われたときの候補としていいんじゃないかなあ、と思います。
うちも、「本を買いなさい」とみーちゃんの祖父からもらったお金で申し込みましたし。
みーちゃんの一番のお気に入りは10月「せかいは なにで できてるの? こたい、えきたい、きたいのはなし」です。

けっこう難しい話だと思うんですが、導入もうまいし、わかりやすいです。
たまたま、飴作りを見学して、熱い飴の液体が冷めると固体になる、というのを実感していたことも、関心を高めたのかもしれません。
まだ未消化のタイトルもありますし、あと数年は楽しめそうです。
そのうち、英語で書かれた原書も読ませたいなあ、と思っています。

プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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