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「春の海」の宮城道雄とブルー・オーシャン戦略とこれからの子育て

先日、神楽坂近くにある「日本で最初の音楽家の記念館」宮城道雄記念館に行きまして、「宮城道雄の少年時代」という小中学生向けのDVDを観ました。
宮城道雄は名曲「春の海」で有名な、偉大な箏曲家ですが、彼の生い立ちを知って、

・経験に無駄がない点
・不足をアイディアで補って、1+1=2以上の結果を引き出した点

に心から驚きました。
偉人はやはり偉人ですねー。
と同時に、(お叱りを受けるかもしれませんが)彼をビジネスマンとして見ると、ブルー・オーシャン戦略の実践者と言えるんじゃないかと思った次第です。
ブルー・オーシャン戦略とは、ウィキペディアのブルー・オーシャン戦略によると、「競争のない未開拓市場である「ブルー・オーシャン(青い海、競合相手のいない領域)」を切り開くべきだと説く」経営戦略論です。
そういう眼で見ると、宮城道雄の人生はとっても面白いので、宮城道雄記念館サイトと、「宮城道雄の少年時代」の記憶と、私見(→以下の部分)をまじえつつ、ご紹介します。

・目が見えないから、鉄道、チンドン屋など、音が好きで、よく祖母に連れて行ってもらって聞いていた
・8歳で失明の宣告を受け、生田流の二代中島検校(けんぎょう)に入門した
→音楽の道という、昔からある盲者にとっての“出世コース”に乗ります。
 目が見えないという弱点を、音への興味という強みに変え、職業選択につなげています。

・父親が倉庫番をしていた関係で、神戸の居留地に住んでおり、よく西洋音楽を聴いていた
・(のちに)ほとんど独学で学んだ西洋音楽の要素を邦楽に導入することによって、邦楽の活性化をはかり、新しい音楽世界を開拓した
→西洋音楽との融合は、彼より前には誰もやっていないことで、伝統的な邦楽の世界では思いつきもしない、あるいは、思いついても周りに遠慮して、やらないことだったと思われます。
 希少な経験を生かし、ブルー・オーシャンを切り開いています。

・学校に行けなかった
・厳寒期に、障子などを開け放って、難しいところを何百回、何千回と弾く寒稽古をはじめ、徹底的な稽古をした
→多くの子どもが経験するであろう学校での勉強を経験することはできなかったけれども、そのかわりに、自分の腕を磨くことに専念できました。

・朝鮮に渡っていた父が、暴漢に襲われて負傷し働けなくなり、事業に失敗した
・食べていけるように、家族を食べさせられるように、という師匠のはからいで、11歳で免許皆伝を受けた
→それだけの腕があったからこそでしょうが、マイナスをプラスに変えています。

・父が「自分の世話もしてくれ」と言ってきたので、13歳で朝鮮の仁川(現韓国・インチョン)へ渡り、箏と尺八を教えて一家の生計を支える
・朝鮮には彼が教わるような師匠がおらず、弾く曲もなくなってしまったので、14歳のとき、自分で作ってみた、それが処女作「水の変態」だった
→今で言えば、「ボカロやってみた」みたいな感覚でしょうか。
 それが西洋音楽の要素を取り入れた、新しいものだったわけです。
 朝鮮へ渡ったことで、邦楽界の伝統やしがらみに、必要以上にとらわれずに済んだのかもしれません。

・視察で仁川にやってきた伊藤博文の前で「水の変態」を演奏したところ、激賞され、伊藤は道雄を上京させて後援することを約束したが、その直後に伊藤が暗殺されてしまった
・当てにしていた伊藤博文が狙撃され、亡くなったことで、ひとを頼らず自力で頑張ろう、と考えるようになった
・(のちに)ラジオやレコードで爆発的人気を得た(大正14(1925)年のラジオ試験放送初日に出演。昭和7(1932)年、フランスの女流ヴァイオリニスト、ルネ・シュメ-の演奏会で《春の海》を合奏、その後、日、米、仏でレコ-ドが発売されて世界的な名声を得る。毎年の正月放送をはじめ海外との交歓放送、国際放送、また、放送による初めての箏曲講習などの功績により、昭和25(1950)年、第1回放送文化賞を受賞。昭和28(1953)年夏にフランスのビアリッツとスペインのパンプロナで開催された国際民族音楽舞踊祭に日本代表として参加、結果は第1位。イギリスBBC放送から【 ロンドンの夜の雨 】を放送初演、といった具合)
→コネがないという不足を、新しいメディアに果敢に挑戦し、未開拓市場を切り開くことで補って、1+1=2以上の結果を引き出しています。

・箏の特性を生かし、しかも広く和洋の音楽が奏せられるように考案された80本の絃を有する箏(八十絃)のほか、十七絃、短琴(たんごと)、大胡弓(だいこきゅう)を考案した
→自分のイメージを具体化できる道具がなければ自分で作るDIY精神、不足をまさにアイディアで補っています(もちろん設計のみで、現実の作業はお箏屋さんがやったわけですが)。

いかがでしょうか?
ビジネス書をよく読む人は、逆境からの這い上がり方を、パナソニックを一代で築き上げた松下幸之助翁のそれと重ねあわせるかもしれませんね。
また、お箏を通俗的なお座敷芸みたいに思っているクラシックファンの人もひょっとしたらいるかもしれませんが、こうやってビジネス目線で見ると、意外と面白いのではないでしょうか。

DVDを観て思ったことは、道雄の親(育ての親である祖母を含めて)は最善を尽くそうとしていた、ということです。
鉄道、チンドン屋などの音に興味を示せば、聞ける場所まで連れて行きました。
神戸で一番の眼科医にかかりました。
東京から評判の良い眼科医が来たら、受診させています。
失明の宣告が出て、検校に弟子入りさせるに際しても、神戸で一番の検校に弟子入りさせています。

唐突ですが、これからは、子どもに、自分が受けたのと同等のものを与えられない時代になっていきます。
「え、どういうこと?」
と思った人は、先月、日経ビジネスオンラインに出ていた急増する教育費貧乏~現代ニッポン 新たな貧困の形~ファイナンシャルプランナーの小屋洋一氏に聞くという記事をご覧くださいね。

先へ行きます。
子どもに、自分が受けたのと同等のものを与えられない――だからと言って、「ダメだ」「申し訳ない」とマイナス思考に陥る必要はない、と私は考えています。
私たちの時代が、良過ぎたのです。
これからは、宮城道雄や松下幸之助の時代に戻る、それだけです。
親としては、道雄の親のように、最善を尽くし、あとは「人事を尽くして天命を待つ」の心境でいればいいんじゃないかと思います。
それになにかプラスするならば、マイナスをプラスに変えられる、経験を無駄なく生かせる、そんなタフで自由な発想の持ち主に育てることを目指せばいいのかな、と思いました。

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プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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