twitter上の投稿のおまとめサービスtogetterで話題になっていた中卒アイドル西田藍の教育費についてのつぶやきと反響を読んで、胸が苦しくなりました。
ベネッセ教育総合研究所による、月収と大学授業料を比べたグラフなど、データも挙げられていますので、詳しくは上記まとめをぜひ読んでいただきたいのですが、そのポイントは、日本の教育制度が、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある、ということ。
そう書くと、
「貧乏家庭の出だって、頑張れば、公立から塾なしで東大に行き、奨学金だってもらえるさ」
という声がどこからか聞こえてきそうですが、もちろんそういう素晴らしい方の存在を否定するつもりはありません。
そうではなくて、制度として、どっち方向に動いているか、という話をしたいのです。
「多面的に評価」って何?で触れたように、13年秋、大学入試改革の一環として、政府の教育再生実行会議は、「高校在学中に複数回受けられる「基礎」「発展」の2段階の達成度テストを新たに導入し、「発展」を現行の大学入試センター試験に替えて実施する」こと、「面接や小論文、ボランティア活動などを多面的に評価し入学者を選抜する」ことを提言しました(2段階の新試験提言=大学入試、総合評価へ転換を―再生会議より)。
数日前、YOMIURI ONLINEに掲載された「発展」達成度テスト、複数回受験が可能…原案という記事によると、「達成度テスト・発展レベル(仮称)」についての文部科学省の原案では、「試験問題は、知識より思考力や判断力などを測る内容を増やすとしている」とか。
その原案を基に、文部科学相の諮問機関、中央教育審議会で議論し、3月末までに一定の方向性を出すらしいです。
教育再生実行会議の提言に沿って、粛々と進んでいるわけですな。
そうした「知識より思考力や判断力などを測る」テストや「面接や小論文、ボランティア活動などを多面的に評価」する試験と、知識を中心に1点刻みで評価していく、ある意味とてもシンプルな、現行の大学入試センター試験とを比べて、格差社会の上のほうにいる人に有利なのはどちらでしょうか?
それは、もちろん前者の、多面的に評価する試験ですよね。
とは言っても、前者のほうが「試験官の裁量の余地が大きい」とか「不正入試が行われやすい」といった話をしているのではありませんよ。
面接(しゃべりの面白さや一発芸を披露する場ではなく、アカデミックな対話をする場となるはず)や小論文には、知識量や暗記力だけではなく、幅広い読書量や豊かな知的会話の量に裏打ちされた、たしかな教養や思考力が必要です。
そして、教養ある人間を作るには、ワインが熟成する以上の時間、例えば数世代という時間がかかるのです(誰かが言っていた言葉のような気もしますが、誰だったか、思い出せません)。
そういう意味合いで、多面的評価のほうが格差社会の上のほうにいる人に有利だ、と言っています。
そしてもちろん、大学入試がそのように変わったならば、高校入試、中学入試、小学校入試、幼稚園入試も同じ方向に変わらざるをえないでしょう。
つまり、日本の教育制度全体が、格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられようとしているのです。
「イヤな国になりつつあるなあ」と感じる人も多いと思います。
ただ、今、ありったけのリソースをつぎ込んで本物のエリートを育成しないと、この先、日本が廃墟のようになりかねないわけで、それを考えると、格差社会の上のほうにいる人(と、下から彗星のように現れる天才)の中から、手間ひまかけてエリート候補生を絞り込んでいくしかないんですよね。
今、たまたま格差社会の上のほうにいる人は、その事実を承けて、自分が何をするべきか、真剣に考えるべきだと思います。
できることはいろいろある、と思います。
格差社会の上のほうにいる人に有利なように作り変えられつつある、その動きを止めるべく運動するのもいいでしょう。
下のほうの若者に学習支援をする、あるいは、経済的な援助をすることだってできるはずです。
何かをすること、それはこれからますます有利な立場に立つことになりそうな者の当然の義務であると考えます。
私も、自分が何をするべきか、考えました。
考えはじめたら、やらなくてはいけないことが次々に思い浮かんで焦ってしまいましたが、まずは、今やっていることをきちんとやろう、その1つとして例えば、このサイトで自分のノウハウを出し切って、「本物のエリート」を育てる手伝いを、ささやかながらもやってみよう、と改めて決意しました。