素晴らしい記事が話題になっていましたので、シェアします。
と言っても、06年に発表されていたものなので、ご存じの方がいらっしゃるかも。
ベネッセ教育研究開発センターサイトの「日米仏の思考表現スタイルを比較する──3か国の言語教育を読み解く──」。
渡辺雅子・国際日本文化研究センター助教授へのインタビュー記事です。
(以下の引用個所において、太字は渡辺リエラが施したものです。)
タイトル中の「思考表現スタイル」とは聞きなれない言葉ですが、「コミュニケーションの基本となる型」とのこと。
「国や文化によって思考表現スタイルは異なります。その違いは「語る」ことや「書く」ことの基本型に表れる」のだそうです。
「例えば日本では、教科書にこそ書いてありませんが、知らず知らずのうちに「起承転結」が話したり書いたりするときの基本型になっています。ところがこの型は、アメリカやフランスでは思いもよらない奇抜な表現様式として受け止められることが多いのです。だから「起承転結」の方式で議論をしたり、論文を書いたりすると、いくら英語やフランス語が堪能であっても、いったい何をいおうとしているのか理解してもらえないことがあります。
そればかりか、こうした思考表現スタイルの違いが、例えばアメリカで勉強している日本人の学生がアメリカ人教師から低い評価を受けてしまう原因にさえなっています。」
それは困ったことですね。
では、どんな違いがあるのでしょうか?
独自の作文実験、つまり「ある少年の1日を描いた4コマの絵を見せて、日米仏の小学校5・6年生に説明して」もらったところ、
「日本は「時系列型」、アメリカは「時系列型と因果律型を目的に応じて選択」、フランスは二つを統合した「俯瞰型」」
と大きな違いがあったそうです。
詳しくは元記事をご覧いただきたいのですが、どんな記事かについてのヒントになりそうなエピソードを引用しておきます。
「作文実験をした時に、アメリカの子どもからは「どの形式で書くの? 小論文、それとも創作文?」と聞かれました。日本の子どもからは「この子の気持ちになって書けばいいの?」と聞かれました。」
私が興味を持ったのは、フランスの教育。
「フランスは日米と異なり、国語の授業時間の7割は文法や語彙、綴り字の習得に充てられます。書き方については、小学校では「正しく」書くこと、中学校では「美しい文」を書くこと、高校では「論理的な構造」で書くことと、段階的な到達目標を掲げています。」
この目標、いいですね~
子どもの発育過程に合ってる気がします。
「小論文の構造としては、フランスでは伝統的な弁証法が推奨されます。一般的な視点(テーズ=正)とそれに反する視点(アンティテーズ=反)を統合(サンテーズ=合)し、新たな理解の枠組みを生み出そうとします。自分の主張のみを一直線に展開するアメリカの小論文の書き方とは好対照です。」
法律の学説には、正反対の甲説と乙説との「折衷説」が多くて、しかもそれが通説であることが多いです。
それとつながる話だと思います。
「高校時代にフランス留学の経験がある先生と、リヨンで詩の解釈の授業を見学した時のことです。その先生は「20年前に受けた授業とまったく変わらない」と驚いておられました。ところが授業法の歴史を調べると、20年どころか、ギリシャ・ローマ時代から2000年間変わっていません。フランス人教師に「なぜこのように教えるのか?」と尋ねると、皆一様に「なぜそんなことを聞くのか分からない」と、あっけにとられた顔をします。そうした教え方は、長い伝統を持つ自明のものとして揺るぎない確信に支えられているからです。」
ソクラテスやプラトンまでさかのぼることができる授業法なんでしょうね。
一方、建国から200年ちょっとしか経っていないアメリカでは、
「現在のような小論文の型(主張→三つの証拠→結論)が生まれたのは、歴史が比較的浅く、1960年代後半に大学の大衆化が起こった時でした。さまざまな経済・社会的背景を持つ学生が大量に大学に押し寄せた際、アカデミックな文章が簡便に書けるようにと、大学の先生たちが必要に迫られて考案しました。主張を分かりやすくするため、先に述べたフランスの小論文で用いられる弁証法からアンティテーズ(反立)を取り去って自分の主張だけを前面に押し出す方法です」
なるほど~あれは“誰でも優が取れる、論文の書き方”だったわけですね(笑)。
そうだった、そうだった、と頷いてしまったのが、「日本の学校で出される作文課題の二大テーマ」、つまり「運動会や修学旅行などの学校行事と読書感想文」の話。
「どちらも期待されているのは学校行事や読書という体験を通じて、子どもの「心の成長の軌跡」が表れていることです。心の成長体験を、その時々の気持ちの表現を交えて素直に生き生きと書いてあるのがよい作文とされています。成長の軌跡ですから、必然的に物事が起こった順番に書いていくことになります。
そうなったのは、なぜか。
「日本でも公立学校が設立された明治期には、むしろアメリカ以上に「型」から学ぶ形式模倣主義の作文教育が主流でした。ところが、大正期に子ども中心主義の新教育運動が世界的に広がると、明治の形式模倣主義への反省から、型を壊して子どもらしい文章表現を重視する「綴り方」が在野の文学者から提唱されました。綴り方は単に「書く技術」ではありません。子どもが体験や考えをありのままに書くことを通じて「人格修養」することを主な目的としていました。」
人格修養が目的だから、成長の軌跡が書かれていなければならない――それによって、却って“型”にはまった作文が良しとされるようになったのではないか。
私の個人的な感想を含みますが、そんなことを考えてしまいました。
形式的な「型」を排除したために、(大人から見て)子どもらしいという、内容的な“型”ができてしまったのではないでしょうか。
そうなった“諸悪の根源”として指摘されているのが、「赤い鳥」の鈴木三重吉です。
「ところが皮肉なことに、型を壊したと思いきや、結果として「子どもが見たまま、感じたままを綴る学校作文」という唯一の型を作り上げてしまいました。体験したことを素直にありのまま書くのがよい作文とされているので、その対極にある、想像して書く創作文の入り込む余地はありません。綴り方運動の提唱者、鈴木三重吉の雑誌「赤い鳥」創刊号(1918年)の作文募集要項には「空想で書いたものではなく」と断り書きがあります。鈴木は、経験していないことを子どもに書かせる創作は人工的で虚飾に満ちた文章を生む、と痛烈に批判しています。」
ここの記述には、個人的に違和感がありました。
つまり、今日の目で見ればそのとおりかもしれないけれど、当時の目で見れば、合理的な理由があったのではないかと思うのです。
おそらく、上の引用個所にある、明治期までの「「型」から学ぶ形式模倣主義の作文教育」とは、漢文ベースの作文だったと思われます。
なぜならば、江戸時代までの日本語や日本人の思考体系は、漢文ベースだったはずなので。
中国文学者、高島俊男の『漢字と日本人』(文春新書)にも書かれているように、日本語や日本人の思考体系ができあがる前に、中国から言語や思考体系が入ってきたために、日本人は永遠に自前の思考体系を築く機会を失っているのですね(反面、ショートカットができたとも言えるわけですけど)。
つまり、日本にはソクラテスやプラトンはおらず、お手本となるべき漢文は、自前のものではない言語であり、思考体系。
しかも、たぶん、大人が、大人の感性で、大人に向けて書いたもの。
そういうものを安易にお手本として採用し、子どもに無理矢理背伸びをさせて(=体験したことないのに、想像や空想を駆使させて)真似させていたことを、鈴木三重吉はじめとする文学者たちは批判していたんじゃないか、という気がするんです。
ただ、これはちょっとそのあたりに興味を持って調べているので、そんな気がする、というだけで、根拠のある話じゃないんですけど。
まったく的を外した話になっていたら、すみません。
調べて、きちんと書ける話が出てきたら、追記します。
脱線しちゃいましたが、
「日本の教師は、意識する、しないにかかわらず、結果的に「綴り方」の伝統に則って、「自由に、思ったままを書けばいいんだよ」と励まして子どもに作文を書かせます。しかし、でき上がった作文は、どれも驚くほど似通っています。」
「日本では学校行事など共通体験を重視し、主人公や歴史上の人物の気持ちに寄り添う「共感教育」がすべての教科と学校生活の基本理念となってい」る。
は、心当たりのある方も多いのではないでしょうか。