生後55日 遅ればせながら、お宮参り その1の続き。
みーちゃんのお宮参りは、かあさま自身が本調子ではないので、ラクな道を選びました。
ラクな道とは、どういうことか。
まず、場所は近所の神社。
自宅から徒歩10分程度でした。
小さな神社ですが、歴史は古いようです(神社はどこもそうだと思うけど…)。
次に、服装。
ほんとなら、母子ともにバシッと和装で決めたいところでしたが、とうさまが妊娠中に会社を辞めちゃったので、きちんと揃える経済的余裕はありません。
しかも、時期的に残暑厳しい頃。
あわせの着物はツライ(絽や紗の着物なんて、とても買えない)。
着物で授乳した後、いったいどうやって胸元を直せばいいんだ、という問題もあります(自分で着付けができる方なら、たぶん問題ないと思いますけど、かあさまは昔3か月着付け教室に通っただけなので、まったく自信なし)。
なので、みーちゃんには、出産前に準備していたベビードレスを着せました(詳しくはベビードレス注文(34週0日)を見てください)。
私は、ちょっとフォーマルな洋装……と言いたいところですが、予想以上に胸が大きくなっていたため、予定していた服が着られず、なんか変な組み合わせになっちゃいました。
写真を見るたびに、あ~あ、とため息が出ます(涙)。
その反省もあって、七五三などのお祝い事をきっちり準備するようになるわけですが、その話はいずれまた。
「ラクな道」の話に戻りまして、お宮参りの後のお祝いのしかた。
義母と義妹と一緒にお参りして、その後、自宅にて、仕出し弁当でこじんまりとお祝いしました。
というのも、妊娠後期に引っ越したばかりですから、挨拶に行くような知人は、近所にいません。
それから、かあさまはいろいろあって、実家とほぼ音信不通で、とうさまの親戚はあちこちバラバラに住んでいますので、挨拶回りをするような親戚は、近所にいません。
近所に素敵なレストランもありません。
そこで、出前サイトで、使い捨て容器ではなく、ちゃんとした陶器のお皿で持って来てくれるお店を探して、注文しました。
自宅なので、みーちゃんをいつもどおりに寝かせておけますし、気兼ねなく授乳もできて、たしかにラクでした。
スタジオでの写真撮影もしませんでした。
神社や自宅で、スナップ写真はパシャパシャ撮りましたが。
これは正解だったかも。
照明バッチリの初めての場所で、しかもピンポイントで自然な笑顔を見せられる年齢、月齢じゃないですから。
体調が回復していないので、あまり写真に写りたくなかった、というかあさまの事情もありましたし(笑)。
自宅のベッドに寝かせた状態で、とうさまがパシャパシャやって、なかなかいい写真が撮れました。
その時の写真を「赤ちゃんが生まれました」ハガキにも使いましたよ!
ただ、ちょっともったいなかったかな、と思うのは、初着(うぶぎ)を着せてあげられなかったこと。
ちゃんと購入することはできなくても、写真館で借りて写真として残す、くらいしてもよかったかな、と。
だって、「京の初着屋」サイトの初着(産着)の基礎知識によれば、
古来、赤子の命ははかないものでした。やっと世に出たその命が、わずか二日三日で果ててしまうなど日常茶飯事のことでした。
人々は何とか赤子が天に召されることがないように、悪霊の目につかないようにと祈りました。そのために生まれてきた子にわざとお古のぼろ着物を着せたりしました。
(略)
そんな赤子が何とか生を永らえ、人生を自分の力で生きていける気配が見えた時、赤子は生後はじめて氏神様に御参りして氏子となりました。
つまり、初着には、
「もう悪霊から隠さなくても大丈夫。この子は人間の世界でやっていけるでしょう」
という、ほっとするような、晴れやかな気持ちがこめられているのです。
たしかに、この頃になると、だいぶ人間らしくなってきた、というか、成長を感じます。
たとえば、顔が分かっているんです。
義母はよく手伝いに来てくれていたのですが、義妹は出産直後に会って以来、この日がはじめて。
つまり、みーちゃんにとっては初めて見る顔(出産直後はほとんど見えていないので)。
義妹が抱くと、みーちゃん、泣きました。
他の人とは違うと分かったみたいです(義妹はかわいそうでしたが…)。
それから、これまでは眠っているか泣いているかどっちかだったのに、泣かずに起きている時間が増えました。
しかも、踊ってるかのように手足を動かしたり、
「あ~、う~」
と声を出してみたり。
あと、初着の話に戻ると、同ページによれば、初着を3歳の七五三でも使うことができるそうです。
3歳の時に七五三の衣装を買うなら(みーちゃんはそうでした)、初着を買っておいて、3年後にも、と計画的に使い回すほうが賢かったかなあ、と思いました。