という次第で、
「足首のあたりまでむくむようになったら、助産院では産めません」(象の足(28週0日))
と通告されながらも、なんとか希望通り助産院で出産できた、かあさま。
最後まで「不良妊婦」扱いだったものの、蓋を開けたらなんと、分娩時間は4時間25分!
「痛みから逃げなかった」
「経産婦並みの安産」
「不良妊婦の大どんでん返し」
と、院長先生からお褒めの言葉をいただきました。
ただ、そのためにいろいろ犠牲も払ったのも事実。
犠牲を払うという表現は客観的にはおかしいのかもしれませんが、気分はまさにそんな感じ。
妊娠以来、安産のため仕事はほとんど休業状態だから、経済的にはカツカツ。
このトシになって、助産院の院長先生から何度も何度も叱られた挙句、自分の生き方を修正するのは、精神的に楽な作業ではありませんでした。
むくんでいると、破水からはじまったり、微弱陣痛だったり、出血多量だったりするんですが、実際にも、陣痛より先に破水して入院、という展開。
出産時の出血は1116ml(牛乳パック1本分!)で、産後は顔真っ白。
しばらく鉄剤のお世話になりました。
「微弱陣痛」ではなかったけど、それはたぶん、ひまし油効果。
微弱陣痛が2日続いた人がいた、とか聞いて、自分もそのパターンを覚悟してました。
陣痛がはじまったら食べる物リストの長さ(陣痛がはじまったら食べる物リストとは何か(39週4日)を見てください)に笑ったプレママさんもいるかもしれないけど、自分も産後は笑っちゃったけど、あれは実は“覚悟”の表れだったんですね。
2日陣痛が続いても耐え抜くぞ、という。
陣痛が続いているのに食べるものがなくなったら困ると思って、リストがどんどん延びていったんですねえ。
それから、産後の極端な下痢……。
実はひまし油は、下剤としても使われています。
ひまし油で出るのは、赤ん坊だけではありませんでした(涙)。
「腸内洗浄だね」
と助産師さんに言われたくらい。
ほんと、その通り。
つらかった。
ついでに言うと、体内の水分もかなり抜けました。
再び、足の指の付け根あたりの骨が見えてきたのです。
むくみ解消!
象の足になるのも一瞬でしたが、元に戻るのも驚くほど速かったです。
ね、「いろいろ犠牲も払った」と言いたくなる気持ち、わかっていただけますか?
現代の都会の(ごく普通の)生活から、安産できる生活(心身ともに自然に近い生活)に変えるのは、そんなに楽なことじゃありません。
そのうえ、「安産できる生活」と相反していてもやらねばならないことが、しばしば発生します。
引越し(31週0日)でも書いたことですけど、世間は、「妊婦になったら、からだ第一で」と言います。
言うは易く行うは難し。
からだに悪いとわかっていても、やらねばならないことはあるのです。
かあさまの場合は、お隣に大規模マンションが建つことになって引っ越したことが、それに当たるでしょうか。
出産くらいで仕事を休めない、というプレママさんも、きっといることでしょう。
カンペキな「安産できる生活」で出産に臨めるプレママさんは、ほとんどいないのではないでしょうか。
つまり、出産時のリスクをゼロにするなんて、まずできません。
だから知恵を使うべきは、その次。
どうやって、少しでもリスクを少なくするか。
いかにして、からだにかかった負荷をやわらげるか。
その試行錯誤をこのブログで綴ってきたつもりですが、最終的には、
「つるりと産んでやる!」
と呪文のように唱えていた(つるりと産んでやる(38週4日))のがよかったのかな、と思います。
つまり、堅い意志。
なんで意志が関係するかと言うと、助産院でのお産は、基本的に「妊婦自らが出産する」ものだから。
誰か専門家に出産させてもらうわけではないのですね。
プラス、胎児は自分で出てきます。
つまり、助産院でのお産は(病院でのお産がそうではないというわけではないけれど)、妊婦と胎児の共同作業なわけで。
しかも、相当にハードな。
だからだと思いますが、産後、みーちゃんが「赤ちゃん」とか「子ども」とか思えなかったです。
「同志」とか「仲間」とか、そんな感覚。
みーちゃんが3歳になった今でも、それは変わりません。
とまあ、なんとかプレママ卒業と相成りました。
「プレママ日記について」で、
《その子自身が不幸せだと感じる瞬間ができるだけ少ないように、親として最大限の努力をしたい》
と書きました。
そして「そのために、今、プレママ時代にやれること」として、
出産時のリスクを低くするために、自分にできることをする。
子どものこころとからだの健康を害することを、しない。
子どもがおなかのなかでリラックスして過ごせるように、気をつかう。
と書きました。
まあ、できたかな?
というわけで、プレママ日記はおしまいです。
ご愛読、誠にありがとうございました。