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中学受験は親の受験です

中学受験シーズンまっただ中に、こういう衝撃的なタイトルの本が出て、早速増刷がかかったそうですよ。

著者のおおた としまさ氏が東洋経済オンラインに寄稿した日本のエリート教育を牛耳るたった2つの塾によると、東大理Ⅲ(医学部)の定員に占める鉄緑会出身者の占有率は6割以上とのこと。
私の大学受験当時、もう30年近く前になりますが、その頃からすでにそんな話がありました。
具体的なパーセンテージや、それが鉄緑会だったかどうかは、よくおぼえていませんけど。
ということは、たしかに、おおた氏が言うように「この国では塾が受験エリートを育てている」のでしょう。

ただ、一方で、
「東大理Ⅲ卒の不器用な医者と、三流医大卒(ずいぶん失礼な表現ですけど)のゴッドハンドの医者と、どっちがいいか?」
「患者の話を全然聞いてくれない東大理Ⅲ卒の医者と、話をとことん聞いてくれる三流医大卒の医者と、どっちがいいか?」
みたいな話は、よく耳にするところではあります。
もちろん、東大理Ⅲ卒の医師はみんな、不器用で話を聞かない、と言っているわけではありません!
医師の資質として本質的なのは何か、という問いかけです(特に、人工知能が画像診断をしたりロボットが手術をしたりするような時代になると)。

クーリエ・ジャポンのイェール、ハーバード、コロンビア…なぜ名門大学の医学部は「ダンス」「絵画鑑賞」を必修科目にしているのか?によると、「最近、医学界では医師と患者の「対話」の重要性が高まっている。最新の医療機器に頼るあまり、医師が問診もそこそこに検査をし、異常がなければ「病気ではない」と断定してしまう傾向にあるからだ」。
そのため、大学は「共感力があり、思慮深い医師を輩出したい」と考え、学生に、絵を描いたり楽器を演奏したりといった授業を受けさせているとのこと。
シノドスのハーバード大学は「音楽」で人を育てる――アメリカのトップ大学が取り組むリベラルアーツ教育によると、「小さい頃からフルートとピアノを習い、将来は医者を目指しているジェニファーさん」「が演奏しているハーバード・ラドクリフ・オーケストラは、最大2年間単位換算できる」そうです。
課外活動での楽器演奏が単位として認められているとは!
そんな話を聞くと、音楽好きな私としては、東大理Ⅲ卒のお医者さんよりハーバード出身のお医者さんに診てもらいたくなりますねえ。

もっとも、おおた氏のオフィシャルブログ『ルポ 塾歴社会』に挙げられている「著者として気に入っているフレーズ」を見ると、

「「塾歴社会」とは、端的に言えば、日本の教育の平等性や公正さの中で発展してきた受験システムが、「制度疲労」を迎えている証しであると私は思う。」
「「塾歴社会」が進行すると、「普通の子」の負担が青天井に増えていく。エンドレスなそのレースに乗っかる必要はあるのか、「普通の子」あるいはその保護者は一度冷静になって考えたほうがいい。」

などとなっており、塾が受験エリートを育てている現実を追認するのではなく、むしろ問題視しているようです。
少なくとも同書は煽り系の本ではないように思えました。
それどころか、問題意識を共有できそうな気もしています。

実は、最近、考えさせられることがありまして。
下校後、子どもをお稽古事に連れて行くとき、同じクラスの、いかにも「普通の子」という感じの子(Aくん)とすれ違いました。
子どもが「どこいくの?」と尋ねると、Aくんは駅前のSではじまる大手進学塾の名前を挙げました。
小2からSに行くのか、と私は驚きました。
クラスには、小1からSにかよっている子(Bくん)もいるんですが、Bくんはいかにもエリート然としているお子さん。
8歳じゃなくて、ほんとは18歳なんじゃないか、というくらいに大人びています。
だから、Bくんの場合は、いろんな子がいてガヤガヤしている学校より、そりゃあ、Sのほうが居心地もいいんだろうなあ、と、Sにかよっていることになんの違和感も、もたずにいたわけです。
でもAくんは、そういうタイプじゃなくて、ほんとに「普通の子」なのです。
そういう子が低学年からSに行っていることに驚いたのでした。

問題は、その先です。
質問魔のウチの子どもが「なんで、じゅくにいくの?」と尋ねると、
「いい中がくにいけるからって(ゴニョゴニョ)」
と、Aくんは答えました。
歯切れの悪さから察するに、Aくんがそう理解しているというより、親御さんが言い聞かせたように聞こえました。

そこで思い出したのが、ベネッセ教育総合研究所の「第5回学習基本調査」データブック [2015]の「社会観・将来観」。
「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」という考えの割合が、小・中・高校生とも前回2006年に比べて10ポイント以上増えているのです。
これ、おかしいと思いませんか?
これまでも「受験戦争」と言われてきており、
「一生懸命勉強すれば、いい大学からいい会社に行けて、幸せになれる」
という通念は存在したはずです。
10年前も、もちろん、そうした通念がありました。
そこからの、この10年は、「いい大学からいい会社に行っても、幸せになれるとは限らないみたいね」と疑問視されはじめる時代のような印象があります。
当サイトでも、2011年段階ですでに、子どもの将来で、
「みーちゃんが大学生になる頃には、「いい大学に行って、いい会社に入って」の賞味期限が切れているわけです」
と書いております。

それがなぜ、この10年で、「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」と考える子が、逆に増えているのか。
これは根拠のある話ではないけれど、おそらく、「いい大学に行って、いい会社に入って」が、
「子どもによりよい生活をさせたい」
という、前向きな、夢のある通念ではなく、
「家族全員がこれ以上落ちないように」
という、絶望的というか、消極的というか、理屈に合っていないというか、つまりは、ほとんど祈りに充ちた思いになっているからだと思います。

そう思ったきっかけは、『文藝春秋オピニオン 2014年の論点100』244ページからの、室井佑月さん執筆「お受験是か非か 格差社会の真ん中にいる親ほどのめり込む」でした。

室井さんは、朝のワイドショーのコメンテーターとしてお馴染みの作家で、銀座のクラブでホステスをやっていたという経歴を明らかにしている方。
そういう、お受験なんか絶対しなさそうな人が、子どもに中学受験をさせた後、こう書いているのです。

「宗教のように子供の受験にのめり込んだのは、むしろ普通の親のように思えた」
「きっと、格差社会の真ん中にいて、歯を食いしばって今の位置にしがみついているような親が、子の受験に熱心になる。今の位置から転げ落ちないよう、上ばかりを見ているから」

その短いエッセイを読んで、普通の親御さんたちが、呪文のように、
「いい大学を卒業すると将来、幸せになれる」
と唱えている姿が目に浮かびました。
その呪文が、子どもたちの耳に、心に、焼き付いているのでしょう。
Aくんの「いい中がくにいけるから」も、親御さんが2年生向けに工夫をこらした呪文のように思えました。

だから、誰が何を言っても聞こえないんだろうなあ、とは思うのですが、言うだけ言います。
私もおおた氏と同じく、進学塾にかよう前に、中学受験の勉強をはじめる前に、「「普通の子」あるいはその保護者は一度冷静になって考えたほうがいい」と考えています。

当たり前ですが、小学生はまだまだ子どもです。
世の中をよく知らないし、自分と世の中の関係もぼんやりとしかわかっていない。
先々を見据えて何をどのようにやるかを立案・実行する能力にも乏しい。
だから、中学受験は基本的には親の受験なのだと思います。
「親の受験」という言葉には、親がやりたくてやる受験という動機の面(いじめっ子がいて、どうしても同じ中学に行きたくない、といった事情があれば別ですが)と、親の力量がほぼ反映される受験という結果の面が含まれます。

さらに、発達段階として、小学生の論理的思考力、論理的表現力には限界がある。
反面、百人一首のすすめで書いたように、小学生は暗記力がずば抜けています。
だから、中学受験のための勉強は、どうしても、知識優位になりがちです。
(もちろん考えさせる問題もあるんですが、子どもの暗記力はすごいので、ある程度は記憶でゴリゴリいけてしまう、という気がするんですよね。これは、小学校受験同様、塾で徹底的に仕込むことが可能、ということにもつながります。)
それで余計に、親の(知識を叩き込む)力量が結果に反映されることになっている、という印象があります。

小学生は好奇心旺盛です。
自分の気持ちに素直であり、やりたいことはトコトンやります。

だから、小学生の親は、進学塾にかよう前に、中学受験の勉強をはじめる前に、親の受験に子どもを付き合わせていいのか、よく考えるべきだと思います。

お子さんに、勉強以外の何か、才能のかけらが見えませんか?
勉強でも、特定の科目に才能が見いだせるのではありませんか?
お子さんは、何が好きですか?

そうした、好奇心や意欲の方向がわずかでも見えるならば、まずはその方向で頑張るよう応援するべきでしょう。
親の受験に付き合わせて、好奇心や意欲を潰すのは、無意味を通り越して有害です。
その辺りのことは、地元の公立小中で大丈夫の後半部分でも詳しく書いています。

勉強はほどほどにやっておけばよいのです。
高校生くらいになっても、どうしても好奇心や意欲の方向が見つからない場合、頑張ったものの、残念ながらモノにならなかった場合にのみ、いわゆる勉強に特化すべきです。
そこからの受験勉強でもよい、と私は考えています(もちろん、受験勉強をせず社会に出るのもOK)。
極論のように聞こえるかもしれませんが、いわゆる勉強は、他の取り柄のない子ども(といっても、人数的にはけっこういると思いますが)に残された最後の生存手段と考えるべきです。

なお、

伝統的な私立に行くなら、幼稚園や小学校がある学校に、幼稚園や小学校から通うべき

中学受験する場合は、「21世紀型スキル」をどういう形で(学校の授業でor学校外の活動でor家庭でor1人で)身につけるかをしっかり考えて、志望校を選ぶ(受験しないという選択も含む)

という辺りの話については、東京の私立学校には2種類あるをご覧ください。

【追記】2016.2.22
補足エントリ(と言いながら、長くて重いです)日本における学歴と階級と財力の関係を書きました。

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プロフィール

渡辺リエラ
1969年東京生まれ。1988年東京大学文科1類入学。1992年東京大学法学部卒業。出版社勤務、専業主婦を経て、現在、別名義にて大学講師などとして活動中。2007年7月第1子「みーちゃん」誕生。
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